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89ちゃんねる

日本での登山 難易度が高い?気をつけなければいけない注意点とは?

      2015/08/08

日本での登山 難易度が高い?気をつけなければいけない注意点とは?

今や大人気の登山であるが、そんな日本の山難易度とは

一体どの程度のものなのか?

世界遺産の富士山は初心者でも登山できるのか、その辺を調べてみました。

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日本での登山一番難易度が高いのは

雪の無い季節、登山道があるコース(=ロッククライミングやバリエーションルートではない)という条件付きで。
難易度を左右するのは多くの場合、急峻な岩場です。
なので岩場の多い北アルプスに難度の高いコースが集中しています。
「槍・穂高連峰」「剱岳」「後立山連峰」エリアと覚えておかれれば良いでしょう。
(もう少し詳しく言うと)
奥穂高岳~ジャンダルム~西穂高岳
北穂高岳~飛騨泣き・大キレット~南岳(槍ヶ岳へ)
剱岳(別山尾根や早月尾根)
北穂高岳~涸沢岳
不帰ノ嶮(かえらずのけん)(白馬鑓ヶ岳と唐松岳の間)
五竜岳~八峰キレット~鹿島槍ヶ岳
など。

北アルプス以外では、

群馬県の妙義山
八ヶ岳連峰の赤岳~横岳~硫黄岳

なども岩場のある登山道として知られています。

ただ、山小屋も水場もなく自分で5リットル、10リットルの水をかつがなければ行けない山、というのもあるわけで、単純に岩場の難しさだけでは計れません。

以上は、登山道のある(つまりカンタンな)部類の中の難度の高い山です。

引用元-日本国内での登山で、難易度が高い順に10の山を教えてくださ… – Yahoo!知恵袋

日本の山の難易度とは

日本の山の難易度は低くないと個人的に思います。

ちょっと書き込みが多くなりましたが、難易度は以下のように考えてみました。
※海外の山は日本で言う春に登る時もありますが、便宜上オンシーズンの全てを夏山として表記しました。

難しい順に・・・・
厳冬期劔岳>>夏山ヒマラヤメラピーク>>夏山アコンカグア>>厳冬期槍ヶ岳>>厳冬期冬富士≒夏山モンブラン>>>>夏山キリマンジェロ>>夏山富士

冬の北アルプス行くよりも、キリマンジェロ(5895m)は難易度が低いと思います。まず死ぬことはないので。
モンブラン(4810m)はキリマンジェロより低いものの冬装備が必要。でも3842mまでケーブルカーがある。ケーブルカー降車後は約1000m登るのみ。山小屋もある。
アコンカグア(6960m)は高度があり高度順応が必要、頂上でのラッセルもあり。
→最近ラッセルするほどの雪はないようです。

以上の3峰はツアーもあり、ネットに落ちている情報も多いです。
多分、今の私で行けるのはここあたりだと思います。厳冬期の劔の単独か上記の3峰の単独のいずれかを選べと言われたら3峰のいずれかを選びます。厳冬期の劔は自信ないです。天候が荒れて閉じ込められたら死ぬと思う。

引用元-登山の難易度について:うっはあー☆のブロマガ – ブロマガ

日本の近代登山の始まりについて

日本の「近代登山」の始まりをどの時点に置くかは、人によって解釈が様々であるが、1874年(明治7年)に六甲山における、ガウランド、アトキンソン、サトウの3人の外国人パーティによるピッケルとナーゲルを用いた登山が、日本の近代登山の最初とされることが多い[9]。1889年(明治22年)には、ウエストンによってテント・ザイル等が持ち込まれ、ウエストンの助言で小島烏水らが1905年(明治38年)に日本で最初の山岳会「山岳会」(後の「日本山岳会」)を設立した。この年を近代登山の始まりとする説もある。また今西錦司の言うように1918年(大正7年)の第一次世界大戦の終戦時をもって近代登山の幕開けとされることもある。
明治時代、北アルプスの地元では、学校登山が行われた。1883年(明治16年)に窪田畔夫と白馬岳に登った渡辺敏は、長野高等女学校校長時代、理科・体育教育の目的で、1902年(明治35年)より毎年、戸隠山、白馬岳、富士山などへの登山を実施した。富山師範学校教諭の保田広太郎は、1885年(明治18年)頃より、学生を連れて立山などに登った。河野齢蔵は1893年(明治26年)から動植物採集の目的で北アルプスの山々に登り、大町小学校校長のとき、学校で登山を奨励した[10][11]。
明治時代、測量や地理学的な目的での登山が行われた。1882年(明治15年)8月の内務省地質測量長ナウマン博士の命令による横山又次郎一行の南アルプス横断、1885年(明治18年)全国地質測量主任ライマンの助手坂本太郎の槍ヶ岳-薬師岳縦走、1889年(明治22年)大塚専一の針ノ木岳-立山-後立山縦走などである[3]。
陸地測量部によって、1907年(明治40年)までに、日本アルプスの主峰のほとんどに、三角点が設置された[3]。
探検時代の後[12]、明治末から大正にかけて、日本アルプスへ登山する人たちが増え始め[13]、大正期に大衆化した[14]。1915年(大正4年)の上高地 大正池の出現や、皇族の登山などが、人々を山へ誘った[15]。
これを受けて、1907年(明治40年)に松沢貞逸が白馬岳山頂近くに橋頭堡を築いて営業を開始したのに始まり、1916年(大正5年)に松沢貞逸が白馬尻小屋を、1918年(大正7年)に穂苅三寿雄がアルプス旅館(槍沢小屋)を、1921年(大正10年)に赤沼千尋が燕ノ小屋(燕山荘)を、百瀬慎太郎が1925年(大正14年)に大沢小屋、1930年(昭和5年)に針ノ木小屋の営業を開始するなど、山中で登山者が休憩・宿泊する山小屋の営業が始まった[13]。
また、1917年(大正6年)の百瀬慎太郎による大町登山案内者組合結成をはじめ、1918年(大正7年)の赤沼千尋の有明登山案内者組合、1919年(大正8年)の松沢貞逸の四ツ谷(白馬)登山案内者組合、1922年(大正11年)の奥原英男による島々口登山案内者組合結成など、山案内人(山岳ガイド)の利用料金および利用者と案内人の間のルールの明示・統一が試みられた[13][16]。
1921年(大正10年)の槇有恒のアイガー東山稜登攀をきっかけとして、大正末期にアルピニズムの時代に入った。「先鋭的な登攀」が実践され、「岩と雪の時代」「バリエーションの時代」と呼ばれた[17]。大学や高校の山岳部が、より困難なルートの制覇を目指して山を登った[18]。
1937年(昭和12年)に始まる日中戦争、1938年(昭和13年)に制定される国家総動員法などの時代情勢により、登山ブームは下火になる[19]。
1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終了後、大学・高校の山岳部の活動が再開された[20]。
1950年代、ヒマラヤで、1950年(昭和25年)のアンナプルナ、1953年(昭和28年)のエベレスト、1956年(昭和31年)のマナスルの初登頂など、8000メートル峰(14座ある)の初登頂ラッシュ[21][注釈 1]が続き、これを受け再び登山ブームが起きた。このブームの特徴は、大学や高校の山岳部に代わって、社会人山岳会の活動が活発になったことである[22]。この時期、1955年(昭和30年)有名なナイロンザイル事件が起きた[23]。また、谷川岳では、多発する遭難事故を受けて、群馬県が1966年(昭和41年)に群馬県谷川岳遭難防止条例を制定した[24]。1971年(昭和46年)、海外で「先鋭的な登攀」を行ってきた人達が(社)日本アルパイン・ガイド協会を設立し、登山のガイドや山岳ガイドの養成、資格認定などを行い始めた[25]。1960年代 – 1970年代、山岳部や山岳会が「先鋭的な登攀」を続ける一方で、一般の人々がハイキングから縦走登山、岩登りまで、好みと能力にあわせて広く楽しむようになった[26]。[27]
1980年代、山岳部や山岳会が衰退し始め、また、登山者に占める中高年者の割合が増え始めた。若い世代が山登りを3Kというイメージで捉えて敬遠するようになり、育児が一段落した人たちが山登りを趣味とし始め、仕事をリタイアした世代が若い頃に登った山に戻り始めたことが理由であると考えられる。これに健康志向と百名山ブームが輪をかけ、2010年現在に至っている。このブームで、ツアー登山が盛んになった[28]。このブームの時代、1990年(平成2年)、各地に設立された山岳ガイド団体が日本山岳ガイド連盟を設立し、ガイド資格の発給を行うようになった。2003年(平成15年)、日本アルパイン・ガイド協会が日本山岳ガイド連盟を合併して(社)日本山岳ガイド協会が発足、日本全国統一基準のガイド資格が生まれた[29]。また2010年今日、また若者が登山に戻りつつある。[30]

引用元-登山 – Wikipedia

日本を代表する富士山に挑戦 歩き方とは

歩き方にはやはりこつがあります。「ゆっくり歩けばいいんだ」と頭でわかっていても、どういう歩き方が「ゆっくり」なのか経験で知るしかありません。間違っているかもしれませんが私の経験からそのこつを書いてみます。

1)自分の心臓に負担をかけないように歩く。・・・5合目からスタートする場合は、まず30分はそこから動かず薄い空気になれるように軽い体操などして過ごす。それから歩き始めますが、急発進、急加速はだめ。だから、スタートするときは常にゆっくりと歩き始める。休憩は長くとると次に歩き始めるとき負担が多くなるので、休みすぎないこと、できれば15分あるいて5分休み、そのときは荷物をしょったまま立って休む。休憩後歩き始めるときは最初の1分くらいはことさらにゆっくりと歩く。1時間歩いたら荷物を下ろして小休止・・・など工夫してください。心臓の状態が大事です。負荷がかかりすぎる前に休憩して決して無理をしないこと。無理をしてペースを乱すと後から元に戻すのが大変。これさえ守ればもう富士登山は8割成功したようなものだと思います。

ちゃらちゃら歩くのではなく、一歩一歩体重をかけて、ゆっくりと、さも疲労困憊、杖に寄りすがってやっと足を動かすという風情が実は良いようです。このペースでなるべく休まず、少し辛いようなら歩幅をさらに狭く、傾斜地はS字でゆっくり登る、そんな工夫をしてください。

2)酸素を必要以上に消費しない。・・・体の中でもっとも酸素を消費するのは大きな筋肉つまり太股です。だからこれをなるべく使わないですり足で段差を低くコースをとる。階段状の場所ではこれができないから疲れるのです。そういうところでもなるべく斜めに歩いたり階段をさけたり工夫しながら登りましょう。直線的に登らず、S字型に登るのもよいです

3)このようにして何とかうまく8合目9合目まできても、それから最後の1時間が苦しいことでしょう。5歩進んで15秒休みみたいなペースになるかもしれません。でも、これまで無事に登ってこれたなら大丈夫。この後はじっくり忍耐、心臓に負担の無いようにちょっと進んでは深呼吸しながら焦らず我慢していけばやがて頂上です。上を見ないでしっかり地道に登りましょう。(ただし、夜間の場合は周りを見ないとコースを外れる危険があります)

4)呼吸法・・・沢山吸うためには沢山吐くのがこつです。口笛を吹くように口をとがらせて、ひゅーっと吐くとよいようです。「わ~っしょい!」と言いながら思いきり吐き出し、足を一歩動かすと言うのも良いと聞きました。吐いて吐いて吸ってと3拍子でしょうか。

お子様連れの場合の注意:子供といっても小学生以上なら大人より富士登山には向いているようです。ただし、子供には距離感がつかめません。10時間も歩くペースというものが分かりません。そこで、親を置き去りにしてさっさと登り、上の方で早くぅ~~などと叫ぶというペースになり、これでは絶対山頂には行けません。登り始めしっかりゆっくりとしたペースをはみ出さないように注意して下さい。同じ事は体力に自信のあるスポーツマン(大量の酸素を必要とする体とも言える)を自称する若い人にも当てはまります。

引用元-富士登山のノウハウ

登山の楽しみは旅の楽しみと同じ

登山をあまりしたことがない人が登山をイメージすると、重い荷物を背負って汗をかき、息を切らしながら坂道を登るシーンがまず思い浮かぶと思います。

「あの行為のどこが楽しいんだろう」 、「山頂でのビールはおいしいとか、山の空気はちがう、とか聞くけれど。でもそこまで苦労したくない。」

または、ピッケルを持って真っ白な岸壁を登る姿や、ニュースで聞く遭難の話でしょうか。

「あんな危険な事をする意味がわからない」、「自分とは世界が違う」。

でも、そんなふうにシャッターを降ろさないでください。登山の楽しみって、人それぞれと言ってしまえばそれまでなんですが、本当にその通りで十人十色、たくさんあるんです。

例えるなら、旅行にもいろんな種類があるのと同じように、です。

海外旅行でたとえるなら、用意されたツアーに参加して代表的な観光地や歴史的建造物の眺めを楽しむのも旅の一つ。効率よく回ることができます。登山でも、ツアーに参加して効率よく百名山を制覇していく事を目標にしたり、そこでの友達づくりを楽しむ人も居るでしょう。

逆に、観光地をパッと眺めて出されたものを食べるだけじゃ物足りない、現地の人の声や現地の人の買うスーパーに行き、路線バスに乗り、現地の言葉を覚えてお友達を作る、そういう旅を良しとする人もいますよね。登山で言うなら、山の地形や地質、植物や歴史などを良く知って、味わいながら一歩一歩、あるくことを楽しみとする人もいます。ローカルな電車やバスを使えば珍しい地名や雰囲気のありすぎる無人駅に出会い、無人売店で野菜を買い、手打ちそばを食べる。濃すぎるほどの新しい出会いがあります。

かといえば、どこでもいいから遠くへ行きたい、リフレッシュしたい、と手軽な海外のリゾートビーチなどに行く旅もありますね。登山でも、とにかく体を動かしたい、日常から離れた大自然の中を何も考えずに歩いて疲れた心をリセットしたい、無になりたい、そんな理由で行く登山もあります。

古くは猿岩石がやったアジア大陸横断の貧乏旅行のように、不便な環境にも耐えられる自分になって一つ大きなことをやり遂げたい、という旅もあります。学生の夏合宿なんかはそれに近いんじゃないかと思います。贅沢品は一切廃して20日分の食糧とテントとシュラフを担いで、日本アルプスを縦走する。人生観が変わってしまうくらいの衝撃を受けるでしょう。

引用元-登山の楽しみ / 初心者のための登山入門

日本の登山難易度についてのtwitterつぶやき

 - アウトドア, 登山

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